「困った人」に思う
仕事(カウンセリング)の話はあまり書きたくないけれど、ちょっとだけ。
いわゆる「困った人」(親)との「おつきあい」が、いまあります。「カウンセリング」にはならないので、「おつきあい」といったほうがより近いんです…。
極端にいえば、子どもや自分の病気/問題を通してしか、周囲とかかわりを持てない人、絶えず動き回っていて、内省することのない人… 私はこんなふうに、その人のことを捉えてきたのですが、最近少し、見方が変わってきました。
病気や問題がすべて解決してしまい、子どもが成長して離れてしまったら、どんなにかその人は、寂しく、孤独だろう、と。また、その人の背負っている根本的な課題が重すぎて、一人ではそれに向き合えないのだろう、と。
絶えず動き回って、あちこちで衝突しているようにみえるけれど、それも、その人が生き延びるための、適応に向かう行動であり、なんとか人とつながっていたい、という魂の叫びの現れなのだろう、と。
こう思えるようになったのは、私が成長したからということでは決してなく、その人が、以前に比べて落ち着いてきているからだと思います。いろ〜んな人々の支えを受けて、落ち着きがでてきましたし、病気/問題以外のことで、世の中とつながりを持ちつつあるのです。すごいことです。
でも、また、状況も変化するでしょうから、私の気持ちも変化して、「もう、うんざり」ということにならないとは限りませんが…(苦笑)
いま、その人と、すこ〜しですが(笑)ゆとりをもって対応できるようになってきたのがうれしいので、書き留めてみました♪
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