精神科医の斎藤環さんの「生き延びるためのラカン」を図書館で見つけて読みました。
斎藤環さんは、「社会的ひきこもり」についての臨床と著作で有名な方です。「ひきこもり」救出マニュアル
などは、当事者家族、援助者にとって使える1冊だと思う…私も現場で重宝しています。
さて、念のため、ラカンとはフランスの精神分析家です。難解な哲学的思想で有名(だと思う)のですが、斎藤さんは、日本一やさしいラカン入門書をめざしたとか。その意気込みだけあって、若者向け言葉で、例話を多用し、懇切丁寧に解説してくれているのですが、元が難解ですから…やはり難しかった~。
いろいろと考えさせられたのは、「欲望」についての箇所。ラカンは、フロイトに引き続いて、「欲望」についての考察をさらに推し進めているみたいです。
ラカンによれば、欲望とは他者の欲望である、欲望の根源は他者の欲望である…だそうです。
斎藤さんの解説をさらに、私流に解釈すれば、人間の欲望(生理的欲求とは別)は、他者が存在し、他者にみられている自分という視点を持つからこそ生まれる。世界にたったひとりぼっちだったら、あるいは、異国の辺境に一人放りだされたら、欲望を持つことはできないですものね。
また、欲望は決して満たされることがない。究極の満足はありえない。なぜなら、たとえば、物欲は、モノがあるから生まれるのではない。購買力の増大(たとえば大金を手にすること)が、モノへの渇望を生み出す…
つまり、お金持ちになれば、物欲から解放されるのかというと、逆で、お金が手に入れば入るほど、物欲も増えていく…、権力が手に入ればはいるほど、権力欲も増えていく… というようなことを、ラカンは言っているらしいのです(たぶん)。
そして、個人の人生における夢とか目標というものも、欲望の一種なのです。
ですから、欲望は抑えることも必要だし、適度に持つことも必要、と斎藤さん。
ニートやひきこもりといわれる人々はこのような欲望をもたない、あるいは、解放されている人々ともいえるのではないか、と斎藤さんは言っています(たぶん)。それが健康的な生き方かどうかは別として、とただし書つきですが。
斎藤さんは、「ロハス」や「スローライフ」にも触れています。「(それは)…欲望を制する引き算文化である…あれもこれもとどん欲に頑張る人生をちょっと降りて、環境に配慮しつつ…身の丈にあった生活を楽しみましょうという…「勝ち組」の皆さんだけが最後にたどり着く憩いの地」ですと! アハハ…やっぱりそうか~、勝ち組ライフを経験していない私は、エセ・スローライフイストなのでした~
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