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2007/12/27

羨望と妬みの心理学

 ちょっとどぎついタイトルでしょうか?^^

 以前、「どんな人間関係のなかにも必ず生じる”ねたみ”」という一節を何かの本で読み、妙に納得した覚えがあります。

 妬み(ねたみ)や羨望(ここでは同じ意味で使います)とは、自分の欲しいものを持っている他者をうらやましいと思うこと、その気持ちから憎しみを覚えたり攻撃的な気持ちになること。

 この感情をどう扱うかが、人間関係のキーポイントの一つかと思っています。

 私の場合…攻撃的な気持ちまでいかなくても、うらやましいと思い、ちょっとネガティブになること、日常生活のなかで、わりと頻繁にあるかも!

 そんなとき、「自分て器が小さいなあ~」と、落ち込んだりもしていましたが、最近は、わき上がるねたみの感情(笑)を、「あって当たり前のもの」と認められるようになった気がします(たんなる開き直りだったりして^^)。 

 ねたみ・羨望にとらわれて生活に差し障りが出たり、大事な人間関係が壊れてしまうのでなければ、「ほどほどの」ねたみは、避けられないもの、自覚していればよいものではないかと思うようになりました。

 むしろそれが自分の中に無いものとして否定してしまうと、いつかしっぺ返しが来るかもしれない…。

 それに、ねたみというのは、本当に相手がうらやましいというより、自分の中の「欲しいもの」であって、あまり自覚できていないものが、相手に投影された(ずいぶんと理想化されて)かたち、と理解すべきものだと思います。だから、自分が何を欲しいのか、を知る手がかりにもなると思います。

 逆にいえば、自分が妬まれるという状況も、だれにでも可能性としてあるわけで。それについても、ねたみの感情を向けられているのは自分自身というより、かなり理想化された「自分」らしきものである、ということを自覚することも大事かもしれませんね。

 これをわかっているだけでも、無用なトラブルは少しは避けられるのではないかな〜と思います。

 ****

 余談ですが、「お仕事しているの? すごいですね〜」と、働いていないお母さんからプチ羨望を向けられるとき、私はこう答えるようにしています。

 「いや〜、ダンナの稼ぎが悪いんで〜」 (笑)。このように言うと、ほとんどの場合、この話題は終了〜となります(笑)。

以上、つぶやきでした!

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コメント

深いなあ。あの不愉快な感情を冷静に眺める事ができると、楽ですね。なるほど、働くお母さんと働いてないお母さんの一言のやり取り。
うちも家内が働けて感謝です。人をケアする仕事は女性に向いてますね。自分らしく生きている感じです。

年末になかなかきついテーマですね。

他人のなかには容易にみつけられるのに、自分の中に、それを気づけるかどうかが鍵ですね。

なにもかも、ひっくるめて、自分なのですね。

まきとさん、


素敵な奥様で、いいですね。
奥様もまきとさんに支えられてお仕事されてる
のだと思いますよ〜


taroさん、


年末なのにすみません^^
何かのヒントになれば幸いです。


嫉妬(jealousy)は自分の持ち物が奪われることを恐れる心、羨望(envy)は他人が持っていて自分にないものを欲しがる心、と何かで読んだことがあります。これだけならまだしも、「羨望」が欲しがるだけでなく他人がそれを失うことを喜ぶようになると問題ですね。


聖書でも、ガラテヤ書5章は、15の 肉の行ない(sinful nature) の中に、そねみ(jealousy)とねたみ(envy)を入れています。


バチカンの前の法王だったかが、「同僚の出世をねたむ心にだけは最後まで悩まされた」と言っていましたが、envy は人間の原罪なのでしょうね。


ダビデは詩篇51篇10節で「神よ、私に清い心を作り、ゆるがない霊を私のうちにあたらしくしてください。」と祈っています。カナダのフーストン先生も、自分の野心と闘うような危機的な状況の時には、ただ「主よ、清い心をお与えください。聖霊を取り去らないでください。」と祈るだけだったと言っています。


お互いなかなかできないことだが、主に祈って清めていただくのが最良の解のようです。

shawnさん、

 重量級のコメントありがとうございました。法王のエピソード、おもしろいですね!

 おっしゃる通り、嫉妬は三者関係、羨望は二者関係で起こるものです。

 精神分析の大家メラニー•クラインは、この羨望を重視しましたが、クラインによれば、羨望は、「死の本能」の最も純粋な現れ、最も破壊的な憎しみだそうです。なぜなら(shawnさんも書いていたように)、羨望は、本来は、自分が取り入れるべき、良い物/良い対象(人)を攻撃し破壊してしまうからです。
 そしてこれは、発達の早期〜赤ちゃんのときの感情が源となっていると考えられていますから、驚きです。

 羨望を自分の感情として認められるようになると、罪悪感が起こり、抑うつ的な感情が出てきますが、人との関係の中でその抑うつ感に持ちこたえ、人から良い物をたくさん与えてもらうことで、感謝とつぐない、相手を思いやる気持ちが育つ…とクライン派では考えられています。
 互いに罪を告白し、互いに支え合う信徒の交わりの意味もこういうところにあるのかなと思います。

 また、楽しむ能力や、感謝する能力が育ってくると、激しい羨望が収まってくるとも言われています。聖書の「喜び、祈り、感謝しなさい」と言う言葉が、リアルに迫ってきますね。
 
 (長くなってすみません!)

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