テレビドラマ(BSプレミアム)が放映中(日曜夜10時)
「昨夜のカレー、明日のパン」の原作を読みました。
本屋大賞第二位の作品。おもしろかったです!!
若くして夫をがんで亡くし、夫の父親、ギフ(義父)と二人暮らしを続けるテツコさん。
大きな銀杏の木のある古い家に住むギフとテツコの暮らしを中心に、亡き夫や亡き義母(ギフの奥さん)、幼なじみや親戚の人々。。。をめぐる物語。
全体的にほんわか、のんびり、ゆったりしたペースの物語で、素っ頓狂なお話でもあります。それほど大きな事件があるわけでもなく、日常の一こまひとこまをていねいに描いていて、笑えたり、しんみりしたり、じーんとしたり。。。
作者の木皿泉とは、夫婦脚本家のペンネームで、数々のヒットドラマを生んできたそうですが、小説はこれが初めてとのこと。 それで本屋大賞第二位なのですから、スゴイです。
どおりで、登場人物のキャラが立っている!そして、会話がおもしろい!
構成も凝ってまして、いま現在から始まって、だんだん過去へさかのぼっていく感じなのです。
で、予想外だったのが、これは、死別の喪失をめぐる物語、つまりグリーフの物語っていうこと!
(この本と同時に、「さよならを待つふたりのために」という、もろに死と直面する高校生の小説を借りて読んだばかりでした。。。)
それほどしんみりはしないんですが、それでも、配偶者や子どもを失った孤独感、寂しさ、先がみえない感じは、ギフとテツコの生活に影をおとしています。。。
「見えなくてもいるんです」
師匠は、ギフを背負うと言ったときと同じように、本気の力で満ちていた。
そして、
「もう会えないと思うけど、私、あの、ふった男と共に生きてゆきます」
ときっぱりと言った。
「じゃあ、ボクも」
自分より先に死んだ者たちと共に生きてみよう。
小説を読んででとくに思ったのは、
人間対人間 一対一の濃い関係というよりも、
一緒に暮らしたその暮らしの思い出の大切さ、いとおしさ。
家族の間でも会話の少ない日本人にとっては、そういう方が自然なのかなと思ったりして。。。
テツコは、岩井という恋人がいるのに(このキャラがまた良いの!)、嫌いでないのに、再婚しようとしません。それは、夫が忘れられないから、ということもあるようですが、(最後に夫のことにふんぎりをつけるシーンも出てきますが)
ギフと夫と暮らした、この古い家での暮らしが捨てられない、ということがあるようなのです。
「たぶん、マンションとか、一人で住むの、無理のような気がする」
(中略)
テツコが言っていた意味は、自分の部屋に戻ってしばらくすると岩井にもわかってきた。ここはただ眠ったり食べたりする場所だということが、いやおうなく思い知らされる。(中略)そうなのだ、ここには暮らしというもの一切ないのだ。それをこれから自分一人で作らねばならないのだろうか。だとしたら、それは気が遠くなるような作業に思えた。ギフの家には暮らしがあった。それはおそらく、そこに住んできた人たちが何年もかけてつくり続けてきたものなのだろう。
そして、岩井もそのことを理解し、テツコとギフとこの家で暮らすことを決め、それを少しずつ試していく。。。というそういう形で物語は終わります。
最後に、もう一カ所、引用を。テツコの夫が17歳の時に亡くなった母、夕子(ギフの妻)が暮らしをいつくしむシーンが素敵です。
それでも、夕子は家の用事をするだけで十分に幸せだった。七草を刻んだ粥を食べ、豆をまき、次の朝、その豆を鳥が食べに来ているのを見つけ、春を感じ、桜を見て、苺ジャムを作る。新緑の匂いに気づき、梅干しを縁側に出して干し、干してはしまいを繰り返す。折り紙で天の川を作ってみせて一樹を驚かせ、花火をして、スイカを食べて、桃をむいた。小豆を煮て月見だんごを作り、栗を渋皮のまま煮て瓶詰めにし、銀杏を拾って洗い、割って煎って、みんなで食べた。(中略)そんなことだけで、夕子は十分だった。
昔の日本人がみんな経験していたそのような四季とともに生きる「暮らし」。
自分の子どもがどれだけそれを経験してきたのかなと思うと冷や汗ものですが。。。
さて、ドラマのほうは、あと3回で、最終回を迎えます。
ドラマは、さらに劇的で、幽霊が登場したり、小説にない人々も出てきて、にぎやかな感じです。 最初のほう見逃しているので、再放送しないかな~!!
テツコ(仲里衣紗)、岩井(溝端淳平)、ギフ(鹿賀丈史)の配役がいいですね!
「昨夜のカレー」〜過去の、失った人との思い出〜も、「明日のパン」〜将来の生活、未来〜も、どちらも捨てられない、選べない。そのはざまで生きるとは、どういうことか。。。大切なことを小声で教えてくれるような素敵な本でした♪
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