夫婦ふたりで過ごす週末☆
息子の部活、先日から、1年生も、土日の遠征(練習試合など)に参加することになりました。




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息子の部活、先日から、1年生も、土日の遠征(練習試合など)に参加することになりました。
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中1息子の使っていたガラケーが壊れました!
充電が全くできなくなりました〜
これは、娘が使っていたガラケー(PHS)のおふる。
もう5年使っています。
ワイモバイルの家族割引なので、
メールと電話(ワイモバイル同士)は無料。
機種代も払い終わっていて、実質、料金は発生していませんでした。
息子の学校は携帯持ち込み禁止ですし、
部活の遠征時にも持っていってはいけないはず。
だから、ほとんど使わないんですよね〜
いままでは、ごくたまに、
友達と遊びに行くときにもっていっていました。
さて、どうしよう?
以下の選択が考えられると思います。
1)何もしない→携帯はしばらく持たない
2)修理する→修理代が発生。あるいは、古いので修理できないと言われ、機種変更をすすめられる。
3)ガラケーに機種変更
4)スマホに機種変更
スマホはまだ必要ないと思うのですが、
友達の7割ぐらいはスマホだと。
中学生男子にはLINEはいらないよな〜と思うんですが。。。
息子にスマホを与えたら、ゲームばかりしそうですし。。。
時間とお金がもったいないですよね!?
電話とメール用に、ガラケーへの機種変更(変えたら3年間の縛りあり)も
ありかと思うのですが、ガラケーは3年のしばりがあり、
さすがに高校生になったらスマホかと思うので、
いまガラケーにするのももったいないかと。
しかも、電話、メールはほとんど使わないし。。。
とすると、
1)か2)かな?
う〜む、悩むところですが、
携帯ショップにいく時間も、もったいない〜と感じてしまうので、
しばらく、先延ばしになりそうです^^
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きょうは、職場(学校)の都合で、午前中でお仕事おしまい!
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いつも、中1息子のほうがワタシより少し早く帰宅するのですが、
制服のブレザーが、所定のところに掛けてなかったので
(よくあることですが^^)
「掛けておいてね」と声かけしたところ、
「洗濯機にいれた!」との返事が!!
なぬーーー???
「すごい汚れてるんだもん。洗って」というじゃあありませんか。
何にそんなに汚れたの?
そして、洗濯機で洗えると思ってるの?
このふたつに、怒るというより、あきれてしまいました〜
「黒板を消す係だから、汚れた〜」というのですが。。。
紺のブレザーを、洗濯機から取り出しすと、
ちょっとしわしわになってましたが、まあ、いいか。
汚れをみると、
胸のあたりにシミがいくつも。。。。
うーむ、これはチョークのシミではないような。。。。
お弁当その他の油のシミのような気がします!
もう、ブレザーを着ないならクリーニングに出してもよいのですが、
まだ来週も着ていくというので(衣替え時期はとくになく、自由です)
とりあえず、家で染み抜き。
お湯とタオルを使って、トントンたたいて、
なんとか目立つシミはとれました!
あ、でも、緑色の油性ペンのあともちょこっと付いてるのを発見。(汗)
入学1ヶ月たって、こんなに制服を汚すとは!!
予想していませんでした〜(笑)
娘のときとは大違いです。
娘はかなりキレイに着ていたので、
クリーニングは年に1、2回。
3年間着たあとも、知人におゆずりして
「キレイ!」と喜ばれましたから。。。
息子の場合、
3年後に、ブレザーがどうなっているのか、
楽しみなような、怖いような。。。。┐(´д`)┌ヤレヤレ
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(週末、オットとカフェへ♪)
今年の本屋大賞をとった辻村深月「朝が来る」
と、角田光代「坂の途中の家」を読みました。
偶然にも(?)、2冊とも、
母性、「母となること」をめぐるテーマでした。
「朝が来る」のほうは、不妊と、特別養子縁組をめぐる物語。
望まない命と、望んでも得られなかった命。
でも、特別養子縁組という制度が
ふたつの家族を結びつけてくれました。
切ない話ではあるけれど、
新しい形の家族、という、
希望の形が見えてきます。
![]() |
朝が来る 辻村 深月 文藝春秋 2015-06-15 by G-Tools |
もうひとつの、「坂の途中の家」
タイトルからして意味深(?)ですが、
ずばり、「児童虐待」の内容です。
あ、虐待というと正確でないのかもしれませんが、
赤ちゃんを殺してしまった母親。
その裁判員に選ばれた、
幼児を育てる女性の視点から描かれています。
都会での孤独な子育て。
夫やその家族とは、
深いところで、
子育てのつらさを分かち合えない。
いわゆる支援者や先輩ママに話をきくと、
ますます、不安がつのり、
育児が辛くなってしまう。
たんに、「育児がつらい」という話でなく、
裁判員に選ばれた女性が、
赤ちゃんを殺してしまった被告の女性を
「もうひとりの私」として、
とらえているところが、著者らしい。
その境界線があいまいになってしまうところが
なんとも恐ろしいけど、
わかるような気がする。。。
今年のゴールデンウイーク。
前半何をして過ごしたか、もう忘れているので(汗)、
備忘録として書いておきます^^
今年は、家族バラバラで過ごした感じ。
娘は毎日部活。
夫は、仕事関係の出張、セミナーへ。
ワタシも、セミナー、勉強会が多かった!
連休中に、5回のセミナー・勉強会に行きました(明日行くのも含めて)
どれも、充実していましたよ〜
あとは、娘のバレーボール試合を応援に行ったり、
息子と映画、
両親と妹と一緒に久しぶりにランチができたのも
楽しかったなあ〜
そして、息子はというと、
入ったばかりの部活が、休日はまだ1年生はお休み。
だから、「家族とすごす最後の休暇だと思ってください」と顧問の先生に言われていました。
何も計画してなくて、行き当たりばったりだったんですが、
夫が1泊の出張に連れて行き、その帰りに、
大宮の鉄道博物館、
上野の美術館に連れて行ったり。
夫が息子と友達を近所の釣堀に連れていったり。
ワタシが映画に連れて行ったり。
あと、お友達が誘ってくれて、バーベキューに行ってきました!
あらら、けっこういろんな遊びで充実していたじゃない!?
今週末は、まだ部活はなくて、
いよいよ来週末から、休日もサッカー三昧になります。
ということは、休日も弁当作りが待っているのでした!
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ゴールデンウイーク 5/3と4は、心理学関係のセミナーに行ってきました。
場所は浅草です。
何十年ぶりだろう、浅草^^
すっかり、景色が変わっている〜ように思いました。
観光客でごったがえしていましたね〜
活気のある町ですね!
セミナーのほうは、アメリカ人心理セラピストご夫妻のワークショップ。
年末にこのセミナーのことを知り、とても楽しみにしていました。
なぜって、この講師を知ったのは、20年前、大学で心理学を学んでいたとき。
ゼミで読んだ本が衝撃的だったのです。
あれから、20年。
ひょんなことから、このセミナーを知り、
このセラピストに生で会うことになるとは。。。!
心理臨床の現場に出て、経験を重ねて、
いま、このセミナーに出るという、
ベストタイミングだったのだと思います!
参加者は150人ぐらいだったでしょうか。
アメリカ人ご夫妻だから、なのか
(アメリカ人といっても、東洋的なものに造詣の深い方です)
場の作り方がとっても上手。
柔らかく楽しい雰囲気、ゆるい雰囲気で、セミナーがすすんでいきました。
心理カウンセラー・セラピストだけではなく、
コーチングをしている方や、一般の会社員の方、
大学の先生など、いろんな職業、立場の方が。
ひとりでのワーク、また、グループワークが多く、
自分のカウンセリングのなかでも生かしていきたいと
思うようなことがたくさんありました。
具体的には、カウンセリングの
セッション中に、もっともっと、深い感情や、身体の動きに
注意を払うこと、そこから、現実に適用できるヒントがでてくるということ。
質疑応答の時間やデモンストレーションの時間でも
思わず涙を流す参加者もいて、
セミナー自体が、ある意味、癒しの場でもありました☆
参加できたことに感謝!
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素敵な作品(小説)に出会ってしまいました〜
ーー患者が、というより患者と、患者のジンナジュが、本当に欲しがっているのは、ストーリーなんだって、カタヤマはよく言っていました。特に人の怖ろしがる病の場合は、なぜ、自分がその病気になったのか、納得できる物語が欲しい。患者が、いよいよ助からないとなると、カタヤマはまるで依巫にでもなったかのように、その人の一生を謳い上げるようなストーリーをつくって、訥々と話して聞かせるんです。現地の言葉で。カタヤマの言葉は、拙いものだったけど、力があった。そうすると、患者は本当に満ち足りた顔になる。見栄のためじゃない。死者には、それを抱いて眠るための物語が本当に必要なんだ、って言ってました。(p.237)
片山海里の言っていたという、死者の「物語」こそがそれなのだろう、と思う。人の世の現実的は営みなど、誰がどう生きたか、ということを直感的に語ろうとするとき、たいして重要なことではないあ。物語が真実なのだ。死者の納得できる物語こそが、きっと。その人の人生に降った雨滴や吹いた風を受け止めるだけの、深い襞を持った物語が。ーーそういうものが、けれど可能なのだろうか。片山海里はきっと、作り手として関わりながら、自分もその物語を生きたのだろう。ストーリーに、自らの半身を滑り込ませるようにして。(p.256)
ーーねえ。人って不思議なものね。生きている間は、ほとんど忘れていたのに、死んでから初めて始まる人間関係っていうものがあるのね。
ーー海里のこと?
ーーまあね。あなただから言うけど、その人が死んでくれて初めて、その人をトータルな「人間」として、全人的にかかわれるようになる気がする。生きているときより、死んでから、本当に始まる「何か」がある気がする。別の次元の「つきあい」が始まるのね、きっと。あなた風に言えば、「咀嚼」できるっていうか。(p.258)
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